広島の原爆の体験伝承者が2代目の時代
第2時世界大戦の戦後77年の時が経過しました。
実際に体験した原爆経験者の話が今まで語り継がれてきましたが、年々お亡くなりになっています。
最近では、体験談を聞いて語り継ぐ人々の伝承者が、2代目として活躍される時代に突入しています。
私の家族がこの体験伝承者の話を、広島の原爆記念の日に聴きに行きました。
体験伝承者は、大変よく勉強されており、原爆体験伝承者としての役割をしっかりと受け継がれていたそうです。
私の家族も広島出身者で、親戚の人達が被災しました。
原爆直後は、爆心地から離れている呉市にいた祖母や叔母は、広島市内の爆心地半径2キロ圏内近くで被災した親戚に食べ物を届けました。
爆心地から8.8キロ離れた海田市駅までは電車が通っていたので電車で移動し、海田市駅から歩いて瓦礫や死体の残る被災地を歩いて移動しました。
生き残った親戚の人がいた地域は、爆心地から半径約2キロほどの市内の横川町、天満町、比治山の裏側にいました。全員生き残りました。
今回の体験伝承者の人の話の中で、
火傷し、皮膚がくっついしまった人は消毒したナイフで、火傷直後に皮膚を剥がした。剥がさなかった部分は、ひどいケロイドが残った。
と、現体験者の話から伝わる話を生々しくお話ししてくださいました。
ヨガの教えも伝承者から受け継がれている
約5000年前からあるヨガの教えは、口伝承でありました。文章でヨガスートラの経典として残され始めたのが、4世紀から5世紀ごろです。
約5000年もの間、文献なしでも現代にも通じる生き方を口伝えでインドで行ってきたのです。
戦後100年も経っていない太平洋戦争の歴史を語り継いでいくことは、難しいことではないかもしれません。
しかし、現代社会の問題は、情報過多で自分の好きなことだけを取り入れて、知るべき内容を見過ごしてしまう問題があります。
私も広島で生誕したので、原爆の問題も核の問題も他人事ではありません。
日本の中での発言力の差や温度差
地方や都会での考え方や人の特性に違いあります。
広島や長崎では、小学校1年生から学校で平和教育が行われています。
他地域でも戦争や原爆の恐ろしさを聞く環境があります。
今回の体験伝承者の人は、ボランティアで広島に通って勉強してきました。
家族が今年の8月6日に、原爆の体験伝承者の話を聞いた際にも、
その内容の話を聞いた後に、司会者の人は感想も気かずに会を終わらせようとしていたことに失望していました。
まず、意見をすることに躊躇したり、恥ずかしがる地域が存在します。
素直な感想でさえ言えない一部の日本人、世界では通用しないように感じます。
出る杭は打たれることを恐れること、知識がないことを露呈してしまう恥ずかしさが先に立ち、発言や感想という行動に出ることができないのです。
せっかく話をしてくださった、今回の会の体験伝承者の方の寂しそうな顔が忘れられないと家族が言っています。
家族は、素晴らしい内容であったと本人にみんなの前でお伝えし、今後も原爆の恐ろしさをみんなで伝えていく大切さを再認識したと言っています。
風化させないように、一人ひとりの意識改革が必要でしょう。
今日もここまでお読みいただきありがとうございました。
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